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認知症の妻の介護でみえたこと−介護家族と医師の視点から その後 vol.11 どう生きるか、どう死ぬか

認知症の妻との介護と生活は足かけ8年になり、転居して1年8ヵ月です。妻の認知機能障害の程度は変わりなく、これに伴う精神状態はいつも混乱しているわけでなく、穏やかなときもあり、笑顔を見せるときもあります。しかし多くの時間は、混乱と不安のなかで暮らしているようです。

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2つの思いの間で揺れ動く感情

 妻が考え込んだり、落ち込んだり、怒ったりすることも稀ではありません。

 私の作った料理を美味しいとも不味いとも言わないで、ただもくもくと食べています。自分が先に食べ終わると、私の分まで要求することもあります。尿がいっぱい溜まった紙パンツを気にせず脱ごうともしません。昼となく夜となく開かない玄関の鉄のドアを、開けようとして1、2時間過ごすこともあります。

 こうした変わり果てた妻の姿を日々みていると悲しくも情けなくなり、妻の命を絶つことを考えることもあるのです。しかし笑顔を見るとその思いは消えてしまいます。二つの思いに揺れ動く私が居るのです。こうした私の気持ちも、転居で変わったというわけではありません。

転居前

 転居前、介護を始めてからのことをある雑誌に連載で書きました。その最終回の副題が「妻の介護を続けて思うこと」で、その一部を少し長いですが「転居前」として以下に転記します(注1)。

妻の思い

 夫の私を他人と思う、断片的なコミュニケーション、感情の激しい起伏、「家に帰る」と外出しようとする、尿や便の失禁、しかもそれを気にしない。それらの介護は容易ではありませんが、それ以上に私にとって辛いのは、こうした変わり果てた妻の姿を毎日見ることです。悲しく、情けなくもなります。同時に、本人は何を思って生きているのだろうかとしばしば考えたりします。

 妻の思いは、表情や言動から推測するしかありませんが、「何もわからない」「できない」と落ち込んで泣いたり、あるいは自分や周囲にまったく無関心なことも少なくありません。記憶だけでなく感情も断片的で、さまざまな思いが妻のなかで現れては消え、何の脈絡もなく流れてゆく世界に生きているようにも思えます。とらえどころのない心的世界に生きていると思われる妻ですが、もし自分の姿を客観的に見ることができるのであれば、どう思うのだろう、と考えることもあります。

 発病前までの妻の思いからすると、それは「悔しい」の一言ではないかとも思います。50歳代半ばで脳炎による軽くはなく治らない認知症になった姿を見て、まだ生きることを楽しみたい人生が遮断され、一人ではどうすることもできない人間として生き続けることへの悔しさを抱くのではないか。意思表示ができるのであれば、「尊厳死」を願うかもしれないとも思います。

 しかし、こうしたことについて発病前に妻と話したこともなく、「認知症になったら死んでもよい」などの言葉を聞いたこともありません。私自身が長く認知症にかかわり、妻も認知症の理解を深めてきたので、認知症=「なりたくない病気」=「死んでもよい」といった発想はありませんでした。とはいえ、もし病気が治り現在の姿を知ったら、「嫌だ、悔しい、生きたくない」と思うに違いないでしょう。このように推測する妻の思いが私の日々の介護に重くのしかかります。しかし、思いを確認することもできず、どうすることもできません。

次のページは・・ 妻への思い

キーワード: 介護家族 , 認知症

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